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Tokyo Tower、その陰影

東京タワーを撮りに行く。一年に数回、無性に東京タワーを間近で観たくなる。そして、その欲望が発生する季節は何故か冬に偏る。 着いた時間は、既に中には入れない時間で、駐車場にも車は数台しかみえない。数組のカップルがベンチで寄り添うように座り、 じっとタワーを見上げている。寒い、東京タワーは吹きさらしの高台に建っているせいか、風が強い。カメラを持つ手が凍える。
何回か通っていても、思い通りの東京タワーが撮れたことは一度もない。じっとタワーを見上げると、 そこには見慣れたいつもの姿が照明を浴びてたっている。見上げ続けながら、僕は周辺を歩き回る。
僕はどうやら遠景の東京タワーの姿が嫌いと言うほどではないが好みじゃないらしい。遠見に見える東京タワーは、 上空に昇ろうとする意志を現す曲線、そしてオレンジと白に輝くロマン的な姿、それらが強調されすぎる。 その姿は東京タワーの本質を見失ってしまう様に思える。
東京タワーの本質? それは相対化が一般的な状況では、それこそ、それぞれの思いの中で相殺されてしまう。でも多くの映画、 TVドラマ、もしくは写真などで表象されるその姿は、概ね一つに固定化しているかのようだ。そしてそれが遠景のタワーの姿である。そして、 僕はその姿に抗う気持ちが強いのである。
反作用としての東京タワーという意識からの見方ではない。もともと鉄筋を組み立てて造られているのは事実である。 タワーの直下で見上げると、その様が手に取るようにわかる。そんなに美しいモノではない。そう思う。
では何故、僕は東京タワーを見に行くのか。おそらくその質問が逆に僕をこの場に向かわせているのである。 約一年前に東京タワーについて書いた記事がある。今回読み返してみて、イメージが変わっていないことに少し驚く。逆に言えば、 前段の質問から僕は止まったままでもある。さらに今は質問が一つ増えている。何故現在において、映画・ TVなどで東京タワーのイメージの固定化が行われているのだろうかと。
公衆電話ボックス
Flickrからのテストを兼ねたブログ投稿。
携帯電話がこれほど普及すると、公衆電話を利用する方を見ることが滅多にない。たまに見かけると、ボックスの中で公衆電話を利用するのではなく、自分の携帯電話で話している。ボックス内の明かりを、電話で話しながら何かを読むために利用しているのだ。
それでも夜歩くとき、特に人通りも明かりも少ない時、公衆電話ボックスの明かりが嬉しくなるときもある。
そう言えば家の付近は公衆電話ボックスが意外に多い。この写真は、その中の一つ。普通に見かける明るい緑色の電話機ではなく、ウグイス色の電話機が、ボックス内の明かりに照らされ、より色が映えて見えた。
ボックスの横を少なからぬ車が通りすぎる。人が使わぬ公衆電話は何故か寂しく見える。いずれこの公衆電話も撤去されていくかもしれない。時代によって産まれ、時代の流れの中でなくなっていく。それは致し方ないことだのだろう。
それでも、流れゆく時代の中で、立ち止まって会話し思考する、そういうことが必要なのも間違いない。公衆電話の写真を撮りながら、そんなことを思う。
moo mini cards
Flickrには投稿したユーザの写真を楽しめる様々な外部印刷サービスがある。 その中の一つ「moo mini cards」 が事業開始キャンペーンとして、FlickrのProユーザー向けに無料で10枚作成できるというので依頼していた。
実を言えば、依頼したのが一ヶ月近く前だったので完全に忘失していた。だから英国からのエアメールを見たときは、 覚えがないので、何か新手のDMか何かだと思った。でも好奇心から開封し中を見たとき、依頼したことを含めてすっかりと思い出した。
期待していなかった分、僕にとっては素敵なプレゼントだった。
「moo mini cards」については、上部の写真を見ればどの様なモノかがわかると思う。写真が印刷されているが、それらは総て僕がFlickrに投稿した写真となる。「moo mini cards」では、申し込みの際に、Flickrに投稿した写真を選択し、印刷範囲を決め、そして裏面に何を印字するかを決める。
「moo mini cards」の一枚はちょうど少し幅広のガムという感じの大きさ(28mm x 70mm)で、厚みがあり、裏面の印字欄を上手く使えば、ちょっとした名刺代わりになる。表面の写真と相まって、受け取る方も普通の名刺よりは、受ける印象もより強いかも知れない。
写真の印刷品質は、光沢なしの絹目調という雰囲気で、品質も高く(極めてというわけではない)、名刺代わりのカードの用途として使うのであれば十分だと思う。
何よりも、カード一枚毎に自分が撮した写真が表面を飾るのであるから、愛着はひとしおで、それは名刺と較べようがない。
ただ「moo mini cards」にすべく写真を選択する際、写真はカードの大きさに縛られることになる。28mm x 70mmの大きさは、通常であれば、撮した写真が総て印刷出来ない。つまり、選択した写真の何処を印刷するかを決めなければいけなくなる。そこで問題となるのが、写真全体を使って構成し撮した写真は、カード化したとき、思った以上に良い結果にならないと言うことだ。
結論から言えば、良く見える(美しい)カードを作るには、カードの大きさに則した構図の写真を選択した方がよい。まぁ、それほど悩む問題ではないが、多少の考慮が必要ということである。
それに「moo mini cards」の写真選択から発注までの流れが、しっかりと造り込まれていて操作がとても気持ちよかった。勿論途中で選択写真の変更なども直感的にできる。この操作感を興味が有れば実際に味わって欲しい。
すっかりと「moo mini cards」を気に入ってしまった僕は、こういう事だったら、裏面に印字する内容をもっときちんとすべきだったと後悔した。そこで再度発注(有料)することにした。100枚で19.99ドル、しばらく送料は無料とのこと、僕は満足感を考えれば決して高いとは思わない。
今度は忘れることはないだろう。発注したのは昨日だが、今から首を長くして待っている。
追記:無料10枚作成キャンペーンは既に終了していました。
折り鶴
神社仏閣にはそれぞれに神木と呼ばれている巨樹があるのが多い。それらの木々は概ね都もしくは区の保存樹として大事にもされている。だからといって神木としての趣が薄れているかと言えば、僕にとってはそういうこともなく、巨樹を前にして神聖な心持ちを感じるから、自分のそういう「心の構え」に対し不思議でもある。
また多くの神社仏閣は都会にありながら多くの樹木が残されている場所でもある。それ故僕は外にいる時、それらを見つけると思わず境内に参拝したくなる。信心なき突然の来訪者でもある僕がその都度思うことは、どんな小さなお社でも、そこにはそれを信じ守り続ける人がいるという事実である。
買い物帰りの主婦、犬を連れた若い女性、学生らしい若者、散歩中の老夫婦、会社帰りの中年男性等とそこで手を合わせる方々は様々である。
自宅の近くの五叉路には通称「首なし地蔵」と呼ばれるお地蔵様が鎮守されている。そこには誰彼ともなく供物と花が副えられ絶やされることがない。またお地蔵様の周囲も毎日誰かが掃除しているかのようにゴミが落ちていることもない。
写真は散歩の途中で出会ったお地蔵様のお社に副えられていた折り紙の鶴であるが、誰がどのような気持ちで折ったのであろうか。既に色が落ち灰色となった鶴もみえる。その方の祈りは適ったのであろうか。そもそも「適う」とかの次元で物事を考えている自分からして、この折り紙の気持ちを見誤っているのかもしれない。それでも写真を撮るとき、この鶴を折った方を少しだけ思った。
それぞれの日本問題
小松左京がSF小説「日本沈没」を書いたのは今から30年以上も昔の話である。小松左京は見事に僅かな科学的可能性を基に日本を沈没させた。でもそれ以前に日本では多くの識者による「日本問題」の洪水に見舞われている。
それぞれの識者達の「日本」はその後どうなったのであろうか。危機感を募らせる書籍の標題は商業的でしかなかったのであろうか。図書館でこれらの書籍の背表紙を見るだけで、そういう思いにとらわれる。
小松左京が描きたかったのは、「日本沈没」のその後であったと、後のインタビューで彼自身が語っていたのを覚えている。つまりはこの小説は序章でしかない。ただ残念なことに「日本沈没」第二章は書かれることがなかった。そして、それぞれの「日本問題」でも、同様に、その後の「日本」を書いている書籍は少ない。
そして今年7月に「日本沈没」が新たな映画として放映される。その時点で多くの方が何を語るのか想像するのは容易い。それぞれの「日本問題」は欲望のままに語られ、さらに商業的に消費されることで、逆に問題としてのリアリティがなくなっていくことだろう。
でもそれを懸念することもない。今までがそうだったように、「日本」は消費尽くされることなく、僕等に課題を投げ続けているからだ。それぞれの「日本問題」とは、それぞれの生の欲望への不全感が元にあると僕は思う。
千客万来
伊勢に行ったときにどうしても撮りたいものがあった。それはこの土地に伝わる注連縄で、中央に「蘇民(そみん)将来子孫家門」と書かれた符がついているものだった。ただ時間がなく撮れたのは「千客万来」の符だけだった。伊勢の一部では一年を通じてこの注連縄を門に飾っているとのことだった。この話は友人から事前に話を聞いていたので、実際に見てみたいと思ったのである。
言い伝えによれば、スナノオノミコトが旅の途中にこの地方に立ち寄り、一晩の宿を求めたそうである。最初に巨旦(こたん)将来の家に行ったがすげなく断られた。ミコトの身なりが貧相だったからである。次にミコトは巨旦の兄の蘇民将来の家に行った。蘇民は貧しかったがミコトを手厚くもてなした。その姿にミコトは感激し、この地方に悪い疫病が流行るからその時は蘇民将来の子孫と書いた符を家の門に貼りなさい、さすれば疫病から子孫を守ってあげましょうと言い残し去っていった。そこで早速蘇民は言いつけを実行し、その年に流行った疫病から身を守ることが出来た。逆に巨旦将来の一族は疫病によって滅んでしまった。
伊勢以外の多くの土地にも蘇民将来伝説が伝えられている。例えば京都とか信州などであるが、大筋ではそれほど内容は変わらないらしい。でも厄除けとしての姿形はそれぞれの土地毎で違うと聞いている。
この伝説の発祥元がどこなのかは僕には興味がない。僕が思うことは、その土地に伝わりその土地にあった形に変わって行ったと言うことは、蘇民将来伝説として一つにくくれる様に見えながら、実際はその土地毎で違うのだと言うことである。この国の単一性ではなく、複数性をそこに見るのである。
伊勢の「蘇民将来子孫家門」の注連縄を幾つか拝見することができたが、表札なども一緒に写ることから写真は控えた。それでも注連縄を見ながら、この伝説は文字の持つ力に何かを感じたからこそ成立したのではと思えた。文字が書かれた符があって注連縄は完成する。一つの部分の何が欠けても全体は成立しないが、やはり一番重要なのは文字であろう。当時の人がこの文字を理解し得たのかは僕にはわからない。でも自然に対する畏敬の念を、自然の象形から成り立つこの文字にも見たのではないかと僕は勝手に想像するのである。そしてその念は僕には本当のところでわからない部分でもある。
「紐しおり」愚考
紐しおりについて気にし始めたのはつい最近のことだ。書籍に紐しおりが付いていることは僕にとっては至極当たり前のことだったし、ないことのほうに馴れていなかった。でも数年前から徐々にだが付いていない方が多くなってきているように思える。本を読み始めた時、その本を中断した時に思わず手で紐しおりを探してしまう、そんな所作が多くなってきた事で逆に紐しおりの事を意識し始めたという事だ。
僕の読書は図書館に委ねるところが大きい。新刊で書籍を購入すれば紐しおりが付いていない書籍でも紙のしおりが本にはさまっていることだろう。でも図書館から借りる本にはそういうものは大概ないのである。
意識はしていなかったが、現在、文庫本で紐しおりが付いているのは新潮文庫だけらしい。サイト「ほぼ日刊イトイ新聞 新潮文庫のささやかな秘密」を読むと、今後も新潮文庫は紐しおりを付け続ける宣言をされている。記事の中で新潮文庫担当者は紐しおりについて次の事を言っていた。 1)読書に非常に便利であること 2)書籍であれば紐しおりがつくのは当然であること
しかし紐しおりのコストが1本あたり10円とは知らなかった。以外に高いと思ったけど、確かに紐を付ける手間を考えると妥当なのかもしれない。
最近図書館で手にした本に西成彦氏の「耳の悦楽」がある。この本はクレオールからのラフカディオ・ハーンと女性をテーマにした評論で美しい装丁が施されている。しかし僕がこの本で気に入ったのは紐しおりが幅広で腰も適度にあり長さも色も適当で美しかったことだった。紐しおりが美しいと感じたことはそれまでは一度もなかったが、この本によって紐しおりの事がさらに気になったのも事実である。
これは想像だが、おそらく装丁家からしてみれば紐しおりはデザイン上において考慮に入れたくないのではないだろうか。そんな気がしている。本棚に背表紙を見せて並んでいる書籍の下からだらりと垂れ下がる紐は決して美しいものではない。それは使い古されて細く、さらに先端が解れていたりすればなおさらであろう。それに一個の完結した書籍の形から、尻尾のようにはみ出す紐をデザインに組み込んで考えること自体なにかしら抵抗があるようにも思えてくる。
誰が最初に書籍に紐しおりを付けたのであろうか?残念ながら色々と調べてみたが、その記録を見つけることが出来なかった。しおりの歴史は書籍の歴史と重なることだろう。でもグーテンベルグ以前も以後の長い期間も、装丁家が意匠をもって創造した書籍に、紐しおりが付いているとも思えないのである。書見台で読む大きく重たい書籍に紐しおりは似合わないと思うのだ。
紐しおりが付き始めたのは、多分機械による大量出版が可能となった時期以降のように思える。つまり書籍が一般に個人の所有となってからの話だと思うのである。一冊の本が、例えば高価で希少性がある時、個人所有でなく複数の人によって読まれるとき、紐しおりは逆に混乱を招くおそれが出てくる。つまり紐がある箇所が、読んだ人により常に移動することになってしまうからである。その際は誰それと名前を書いた紙のしおりを挟む方が合理的だと思う。紐しおりは機械化と書籍が個人としてのプライベートな所有物になって初めて便利な機能になると思うのである。
これも想像だが、紐しおりを最初に考案したのは日本以外としても、紐しおりを書籍にこれほど付けている国は日本くらいではないだろうか。
ご存じの通りに、紐しおりの有無は書籍の機能として致命的ではない。コストもかかるし、多分装丁家にとっても余計な部品だと思う。
紐しおりは単に本の個人利用における利便性向上を目的に設けられたサービス品で、どちらかといえばオプション品に近い存在だと思う。書籍販売において他社機能との差別化のためにどこかが付け始めた結果全社が付けるようになった、そういう感じで紐しおりは広まっていったのではないだろうか。この状況は例えば携帯電話とかデジカメ等の機能追加の状況に似ている。そしてこういう状況を造り出すのが日本は得意である。
ちなみに利用する図書館が所蔵する日本以外の書籍について調べてみた。結果は数千冊あるなかで紐しおりが付いていたのは僅か4冊であった。圧倒的に日本の書籍の方が紐しおりが付いていた。下方に写真を掲載する。付いているのは僅かながら、どれも堂々とした(笑)紐しおりであった。
新潮社担当者は書籍であれば紐しおりが付くのは当然と言っていたが、こうやって考えれば紐しおりは書籍の歴史から観ると、特定の期間の特定の国で広まったサービスと言えるのかもしれない。こんなことを書いている僕も実は紐しおり派である。
グレングールド著作集で見つけた謎の紙片
図書館から本を借りたとき、その本に赤ペンで線引きがされていたり、思いつくままの言葉が書き込まれていたり、マーカがついていたりと、前回もしくはそれ以前に借りた人の痕跡が残っている時がある。図書館の書籍なので、それは様々な方の手から手に伝わっているのは間違いないが、それらが頁をめくるその刹那に眼にはいると、本の内容から少し離れ、その方の思いを僕の目を通して伝わってしまうのだ。以前に読まれた方の思いが伝わる。その形は様々だ、赤ペンで線引きをされた人は、その箇所をどういう思いで読み取ったのであろうかとか、頁の隅に書き込まれた言葉は一体何を伝えたかったのだろうかとか、そんな事だ。
ある時は、「日本の巨樹」という図鑑のある頁に、鉛筆で「後で連絡すること」と走り書きがされてあった。栃木の日光街道の杉並木のあたりだったと思う。書き込んだ人は日光街道の杉並木の写真を見ているときに、何かを思い出したのかも知れない。そんな想像をする。
今回借りた「グレン・グールド著作集2」(みすず書房)には、今までにない痕跡が残っていた。それは本ブログの写真として掲載したので見て欲しいが、横10cm・縦14cmの紙片に書き込まれた謎の絵柄である。グレン・グールド著作集の頁220と221の間に栞の様にして挟まっていた。その箇所は「音楽としてのラジオ」というタイトルで、グレン・グールドがラジオでの活動をしていたときのインタビュー記事の所であった。
紙片は栞として挟み込んだのか、もしくはわざとなのか、僕にはまったく解らない。また、紙片に書き込まれている内容も、単なる落書きなのか、もしくは何らかの意味があるのかも不明だ。そんなに突っ込んで考えることはしない質だが、面白いので少し興味がわく。書いた人の思いを想像する。その中でこの紙片は、彼(彼女)がグレン・グールドに思いを馳せる際に湧き出たアイデアのイメージとして現れる。そのアイデアは、この絵、しかも点対象で描かれるべき、ものだったのだろう。中の絵は人の顔の部分だと思う。「見る」と「語る」、「嗅ぐ」と「すぼむ」だろうか。それらは相互に関連している。様々な事柄が現れては消える。もしこれがわざとであれば、僕は見事に彼の術中にはまってしまったことになるのだろう。
丁度その謎の栞が示していた頁で、グレン・グールドは彼のドキュメント番組「北の理念」を通じて、モノラル放送とステレオ放送の技術的な長所短所を語っている。このインタビューのグレン・グールドはさながら優秀なプロデューサーの印象を受ける。
今読んでいるトーマス・ベルンハルトの小説「破滅者」で描かれているグレン・グールドは音楽そのものの存在として描かれていた。「破滅者」は小説なので、現実に存在したグレン・グールドとはまったく違うかも知れない。ただ、読み始めたばかりではあるが、僕はこの小説に、正確にはベルンハルトの小説に圧倒され続けている。この小説については読後感想は無理だと思う。読んだその都度僕は感想をメモしていきたい。
バッハの自筆楽譜がドイツのワイマールの図書館で見つかったと新聞報道していた。バッハ関連のことなので思わず新聞記事に目がいく。勿論、世の中の出来事は偶然で起きているのは間違いない。ただ、このような記事に、ベルンハルトの小説に、そしてグールド著作集にはさまれていた謎の栞に、僕自身が出会うのは、現実に客観に存在する世界への僕の見方が、大袈裟でなく以前とは少し変質している、そんな気がしている。
モータサイクルに乗り豪雨に遭う

少々寒いが慣らしを兼ねてモータサイクルで第三京浜(世田谷・横浜間)を走る。第三京浜は直線が多く、制限速度80kmを守る車など皆無に等しい。久しぶりの自動車専用道路でもあるので、速度を出すのが少し怖い。左端車線を制限速度内で走行する。
第三京浜の終点料金所を抜けてすぐに休憩施設があり、そこには多くのモータサイクルが集まる。その姿を長椅子に座り珈琲を飲みながら見るのが楽しい。初めて見るモータサイクルがあった。水冷6気筒と思われる巨大なエンジン。エルキュワーレと呼ばれるホンダのモータサイクルがあったが、その改造版の様な姿に目が奪われる。それにしてもBMWのモータサイクルがやけに多い。
モータサイクルを眺めていたら、いきなり目の前に稲光が走った。ゴロゴロという音。空を見上げると黒い雲が低く流れている。「やばいかも」と雨を想像する。また稲光。一本のギザギザの光線が瞬間に現れ消える。
「自宅に戻った方が良さそうだ。途中で雨に遭うかも知れないが、とにかくここを出よう」
そう思い、再びエンジンを回す。
帰りの第三京浜に入る直前に、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。「おっくるな」と思ったとき、突然にスコールとなる。それはバケツに満杯になった水を上からかけられたような感じに近かった。ヘルメット越しの視界が効かない。道の端は小さな濁流となって流れている。雨具の準備はしてこなかった。ただ風を防ぐためにマウンテンパーカを着てきたのが、数少ない正解だった。しかし、ズボンを含めなにもかもがあっというまに濡れる。それはいきなり服を着たまま川に落とされる感じに近かった。
モータサイクルに乗っていると、突然の雨は当たり前のことだし、さらにひどい豪雨にもあったこともある。だから、それもまた楽しいと思う。雨に濡れながら走るというのが、楽しいと言うのは、かなりの開き直りがあるのだが、濡れるのが嫌であればモータサイクルには乗れないとも思う。
雨が降って怖いのは、何より車道の中央にあるマンホールの蓋である。あれは濡れると滑る。しかも、丁度モータサイクルの通り道にあるから不思議だ。コーナリングの途中で濡れたマンホールの蓋に乗ると転倒するリスクはかなり高い。
さらにトラックの水しぶき、速度を控えめにする事による後続車ドライバーのいらつき、等々と危険は色々とある。
だから、第三京浜にそのまま入らずに、雨宿りをする場所を探した。丁度良い場所があったのでモータサイクルを止め、雨が弱まるのを待つ。激しい雨だ。上空を眺めれば、西の方は雲が切れて青空が見える。激しい雨は長くは続かない。それは時間にすれば大抵は短い。だから僕も雨が弱まるのを期待して待つことが出来る。そうこうしているうちに、雨が弱まり太陽が顔をだす。
着ていたマウンテンパーカを見れば細かい埃が沢山付いていた。あの激しい雨は、空中に漂う塵を洗い流してくれたのかも知れない。太陽が雲間から日差しを差し込んでいるが、雨はやまない。でも雨は日を浴びてキラキラとしてとても綺麗だ。虹を期待したが、それは見ることが出来なかった。
久しぶりのバイク

バイクに乗った。久しぶりだった。
最初渋谷のバイク屋で自分のバイクを見たとき、一目でそれだとわかったけど、何か自分のバイクじゃない感じを受けた。何かが違う。側に行ってタンクからシートにかけて触れる。艶やかなメタリックな濃いグリーンのタンク、なめらかな曲線、タンクからシートにかけて流れるライン。タンクに残る細かな数本の線は見覚えのある傷跡だ。シートのほつれから、少し恥ずかしそうに覗く素材。それは紛れもなく僕のバイクでもある。
でもこの違和感は何だろう。以前よりグリーンがくすんだような気がする。以前はもっとエンジン回りがピカピカ光っていたような気がする。
バイク屋からエンジンキーをもらいエンジンを動かす。セルスイッチを入れた瞬間に、まるで疾走前の馬が筋肉を振るわせるように1450ccのV型が2・3回大きく揺れ、地響きのような低音を轟かせた。その感触、身体に伝わる音とエンジンの振動は身に覚えがある。
それは確実に僕のバイクであった。でも実感として目の前にあるバイクは、全体が少しずつずれていた。タンクはタンクとして少しズレ、シートはシートとして少しズレ、その他の箇所もねじ1本に至るまで奇妙なほど同じ分だけズレていた。
多分、久しぶりで慣れない事による感覚的な問題かも知れない。もしくは、数ヶ月の間で、僕の中でバイクのイメージが膨らみ、それと実際のバイクとの間で、少しズレが出たのかも知れない。まぁ、どこにでも良くある話だと、一人合点する。
バイクにまたがる、思った以上にフロントとリアのサスペンションが沈み込む。クラッチを握り、ギアをローに入れる。スコーンと音を立てローになる。半クラッチにしてバイクを少し動かす。良い感じだ。
通りに出て、ローからセカンドにセカンドからサードに、連続してアップする。クラッチとの繋ぎも良い。信号だ、ブレーキをかける。ブレーキのききも遊び具合も悪くない。
徐々に、初め感じた違和感が払拭していく。
246号線は車は多いが流れている。路肩駐車をしている車が怖い。流れに乗りながら慎重に走行する。それでも後方から数台のバイクが僕の横を追い抜く。
総重量300kgの車体は、思った以上に軽い。ロングホールの為、直進性も悪くはない。それ以上にロングストロークのV型オーバーヘッドバルブエンジンが奏でる3拍子の排気音と、シートを通し、もしくはハンドルから伝わる震えが心地よい。
フォーサイクルエンジンなのに3拍子のエンジン。それは一つの、そしてそれぞれのハーレー乗りにとっては、伝説への一つの鍵でもある。(一人泥酔状態)
以前、このバイクで様々な所に行った。風を受けながら、それらの幾つかを思い出す。その時、僕はいつも信号などで止まるたびに、タンクをぽんぽんとたたいた物だった。それは馬の首を触り、感謝を捧げる仕草に似ていた。わざとでなく、自然とそう言う動作をしてしまうのだ。
でもまだそこまでは、関係は戻ってはいない。
人によっては奇異に感じることかも知れない。たかが道具で機械である。その通りであるが、自然と長距離ツーリングするとそう言う気持ちと動作が出てくるのである。機械であっても道具であっても、人はそれらに感謝する事が出来る。そう思う。
家に着く。渋谷からとろとろ走って約30分。再度バイクを眺める。幾分ズレが少なくなったような気がした。